電池の歴史4 鉛蓄電池(二次電池)
鉛蓄電池の歴史は1859年にフランス人のガストン・プランテにより発明されました。
その電池は2枚の鉛板の間に2本のテープを挟んで円筒状に巻き、希硫酸中で充放電を繰り返して正極が二酸化鉛に負極が鉛の活物質を持つ鉛電池でした。
1880年代以降はペースト式極板電池がフランス人のカミュ・フォールにより発明されその後、鉛—アンチモン合金格子の出現により電池の量産化が容易になりました。
日本では1895年に島津製作所内にて二代目島津源蔵氏が初めて蓄電池の試作に成功したことに始まります。
19世紀末から20世紀初めにかけて据置用、可搬用および電気自動車用などに大容量の電池が多く用いられました。
1930年代になりガラスマットやクラッド式極板が実用化され産業車両に耐震性を発揮しました。
1950年以降はモータリゼーションの発展に伴い自動車用電池が急速に伸び、1970年からは密閉形の陰極吸収式小型シール鉛蓄電池が登場し、各種のポータブル機器に採用されました。この電池はその後二輪車用や据置用電池などにも拡大していきました。さらに、2009年にはアイドリングストップ車用の鉛蓄電池が開発され、広く普及しています。
これらの開発により鉛蓄電池は現在までに二次電池の大容量蓄電池の主流となっております。